激動の2020振り返りと近状について



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11月になって半分が過ぎた、社会人の時間の経ちかた早すぎ。な。

 

2020ねんは本当に激動だった。世の中も台風やらコロナやらで滅って感じだし、私も人生滅になっていました。はい。一生の中で非常に辛い時期というか、生き方を変えざるを得ない経験でした。23さい。

 

私は人生で生き方を変えなきゃいけないと思ったことが3回あって、1回目はいじめられた小5?の時、2回目は髪が全部抜けた高校3年生、3回目が今年であります。全てに共通するのが他人中心自己犠牲精神での生き方で、自分を大切にできませんでした。そのせいで利用されたりもしました。つらく悲しい経験です。もう二度と経験したくないしその時ひどいことしてきた人に感謝するなんて徳の高い?ことはできません。でもどん底な時期があったからこそ出会えた人や言葉や優しさがあるのでそれはそれで嬉しいのです。

 

人から利用されてんなと思いながら、それを客観的に見ていて、でも自分の傷には蓋をしてました。けどそういう自分から滲み出る何かがあったんでしょうね、また自分自身も今年は蓋をオープンにしたので色んな人が助けてくれました。頼ったりすることで本当にたーーーくさんの人が声をかけて助けてくれたのが嬉しかったなぁ。よくあるじゃないですか、気にし過ぎな人に「あなたのことなんて誰も気にしてないよ、みんな他人に興味ない」って励ましの意味でいう人、それが逆に励ましにならないって最近思いました。なぜなら気にし過ぎな人は、他人が気にしないことを異常に気のするのに、自分が気にされていないと思うと悲しいのです。(自分が気にする分、相手に見返りを求める)だれが悪いとかでなく、気にする度合い、深さの違いがあるだけなのですけどね。まあ私のことなんですが、逆にそんな励ましより、「大丈夫?」ってよく気にかけている方が救われるのです。

 

 

そんな話はここで終わるとして、本当に書きたいことはここからです。

 

ブログに何度か登場している先輩なんですが、2回くらい(みんなで)ご飯に行く機会がありました。私は仕事中はプライベートな話ができないから、こういうときに色々聞きたいと思っていたんですけど、結論から言って全く話せませんでした。マジタイミング。タイミング、、、くっ、、、

席も微妙な距離だし、お手洗い立って隣の方に座ろかな思ってたんですけど、ちょうど店員がいて座れなかったり。2回中、2回も同期の子と先輩が話していて、時々聞こえてくる話題に対して「あ、これ私話せそうな話題、、!」と思いつつも私のすぐそばのグループの相槌を打って場に馴染んでますよ感を出していました。悲しいねー。別に今回は今まで話せなかった人と話すことができた点では楽しいだったんですけど、肝心の話したい人と全く話せず、ちょっとメイクを可愛くした努力とか(自分で言うの恥ずいけど)なんかしょうもなって思ってしまった。あああ私話すこともできなかった、こんな機会なのにメソメソって感じでした。半年経っておるのに出身から好きな食べ物とか何も知らねぇと思った。全部他人を通して聞いたはなし、切ねぇ〜切ねぇ〜

 

無理矢理恋愛に発展させたいわけではないんだけど、やっぱり人としての興味はあるし話してみたいし、質問したいしされたいしで、頭だけシュミレーションされて現実が追いついてない。滅。もう一人で静かに生きていく。滅。