涙と共に植えた種が花を咲かせるように

地が揺らいでいるように思える時もあったかもしれない。でもあなたは確かにその真ん中を、ど真ん中を確かに歩いてきた。世の状況がどのようなものであれ、周りの状況がどのようなものであれ、あなたはそのど真ん中を真っ直ぐに進み通っていく、力強く進んでいくものですから。

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大学の後輩からOG訪問のお願いのメールが来た。面識は全くないけど何やら弊社を志望していて次が最終面接だそう。

 

最寄りの店舗に来てもらって会社のこと、今後のキャリアについて、面接について話した。いつもブログで疲弊している現状を垂れ流している自分からは信じられない程、口からポジティブな言葉がスラスラ出てくる。不思議だ。。。

 

「もう嫌だ」「心が限界」「疲れが取れない」「疲弊している」「やりたいことができない」「客が怖い」

 

こんなことを考えながら仕事をしているんだけど、段々とそれが

 

「疲弊していかないためにはどうすれば良いのか」

「会社内で自分のやりたいことを近づける方法」

「疲れた体と心を癒すには」

 

という考えになっていった。自分で試行錯誤していくうちに、同じような悩みの人に対してアプローチできないだろうかと思い始めた。

 

それで今の目標は、お客さん→悩みを抱えて働く人たちになり、会社の中で実現できるような行動をしていこうとなった。

 

一年目の頃は自分の心も身体もボロボロで、これ以上壊れていかないように必死だった。認められたい気持ちも大きくて、全てが競争だった。人より優れていなきゃいけない、頑張らないと何も認めてもらえないからというように。

 

人は組織の中で誰にも認められないと感じると、目に見えるもので認められようとするらしい。私が目にしてきたのは、残業時間で自分を認められようとする人たちだった。残業時間の多さで自分の頑張りを主張するしかない人達。かつての自分もそうだった。

そういう人達は気が張り詰めて余裕がなくなり、他人に言葉のナイフを突きつける、あるいは自分に向けて追い詰めるようになっていった。それで突然いなくなった人もいた。

 

悲しい。そんな残業時間で人の価値をはかるような組織や人になりたくない。もっと伸び伸びと働いていけないのか。上の人に相談しても改善のために議論されるわけではなく、「よくあること」「気にするな」で終わってしまうこともあった。絶望的だった。

 

二年目になって異動も経験して、毎日絶望感を持ちながらも働いていた。いつが辞めるタイミングなのか見計らいながら冬にある面談で辞めることを匂わせていた。

 

しかし、ひょんなことから同じ考えを持つ人、現状を変えようという人たちと急に繋がり始めた。研修に来た転職組の人たちだった。前向きに変えていこうという人たちに救われ、少し希望が持てるようになった。そういう人ともっと繋がって話したい、苦しい人が救われる仕組みを作れるかもしれないと思った。

 

自分が働いている仕事や会社を誇ることができない要因の一つには、ギャップがあるとわかった。メディアで注目されるたびに、増える仕事量、疲弊する同僚たち。外側だけ注目されて持ち上げられて、無視されていく人の気持ち、心、精神。そういう組織システム。

 

効率、戦略、管理、不寛容な組織システムの時代は終わった。社会、消費者、働き手の三方向に対して人間的な寛容性、愛を持った組織が必要だと思う。人ものとして扱うのではなく仲間として扱う。J.Y. Parkが言っていたように、一人一人の顔が違うように、一人一人の心、精神も違うものだと皆が認識していく必要があると思う。

 

心ない言動や状況でボロボロになった土の上に、涙と共に植えた知識や経験が、寒い冬を越えて春に近づくにつれて花開いていくような気がしている。